※ 筆者が所属している組織の見解を述べているものではなく、あくまでも筆者個人の考えです。また、情報源は、すべて公開されているウェブの情報に基づいています。
ここ最近、AIによる自動化と人間の役割との境目はどこになるのかを考えてきた。下記の考え方は、一つ指針をくれる。理解をすることは人間にとって、非常に重要なのだ。
一方で、例えば「物事を理解する」ことは、AIの発展とは別に、人間独自の営みであり続けると考えられる。人間にとって理解とは何か、という根源的な問いが、大きなテーマとして浮かんでくるというわけだ。
上記の記事を読む前に、先に下の記事を読んだ。その時には、回答者は楽観的すぎると思った。けれども、意外にそうでもないのかもしれない。「理解」しながら仕事をしていけば、の話だが。
その日は近いだろう。そして、既に人間の理解を超えた機械が市場を動かすようになって久しい。問題はそのままにしておくのかどうか、だ。完全なる否定はすでに成り立たないが、完全な肯定もまた難しいのでは?つまり人間が制御することができない金融市場を人間は求めるのかどうか、という話。
20年前にこのことが想像できた人はいただろうか?鼻で笑われたに違いない。AI技術の進化によるGPUの需要増大をここまで見込めていた人はいないし、GPUに特化したNVIDIAの事業戦略は爆当たりだった。ここ数年だが。
相反する2つの記事。これはどちらも納得できる部分もあるし、そうでない部分もある。現在「民主主義」が機能していない政治の世界から学ぶのであれば、過度な「民主化」は衆愚により進化を止めてしまうことになるであろう。一方で、一部のマニアックなテクニシャンの手の中にあるだけでは、物事が進まないのも事実。その中間を目指して行ったら良いのだろうか?つまり制限をつけながら民主化を少しずつ進めていく。その制限は誰がコントロールするのか?それはしっかりとしたビジョンを持ったリーダーなのだろうが、そのようなリーダー像の具体的な想像がなかなか難しい。
欧州規制当局が銀行が融資などを通じて抱える気候変動リスクに対する定量的なリスク計測手法の確立に動いている。
一方、このところ「劣勢」に立たされていたバークシャー・ハザウェイが「逆張り」的一手に腰をあげた。詳細を今後研究してみたい。
ドイツ銀行がGoogleをテクノロジープロバイダとして採用決定、AmazonとMicrosoftを抑えて。10年間で10億ユーロの収益へのインパクト。
ここのところ非伝統的手法にて市場への流動性供給に務める中央銀行の動き
構造的な問題。「本質的な経営の議論」はもちろん必要だけれども、問題はそれを行うことができる素地がないこと。SBIのような他領域からの参入を待つしかないのか?
フェイスブックとツイッターが香港当局へのユーザーデータ提供を一時停止、中国による国家安全法制定を受け
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